ハートの女王と裁判(もう無理)
シナリオ情報
- 推奨プレイ時間: 10分〜20分
- 難易度: 初級〜中級者向け(論破・屁理屈)
- テーマ: 不条理コメディ、ディベート
あらすじと登場人物
狂気のワンダーランド。あなたは突然、弁護士として「タルト泥棒」の容疑をかけられたチェシャ猫を弁護することになる。「判決の後に裁判をする」というイカれた法廷で、血の気の多いハートの女王を相手に、あなたは5回のやり取り(ターン)以内に彼女を論破(あるいは煙に巻く)しなければ、即座に首を刎ねられてしまう。
主な登場人物(NPC)
- ハートの女王: 理不尽でヒステリックな裁判官。「首をはねよ!」が口癖。正論は通じないが、スケールの大きいデタラメには混乱しやすい。
- チェシャ猫: 被告人。ふざけた態度で弁護士(プレイヤー)を煽るが、実はある恐ろしい目的を持っている。
このシナリオの特徴と見どころ
正論や法律の知識は一切不要! いかに「もっともらしい屁理屈」を捏ね上げて、理不尽な女王の脳をショートさせるかを競う、大喜利のような不条理ディベートゲームです。
プロローグ / リプレイ
「静粛に! 判決を言い渡す! 死刑!!」
鼓膜を突き破るようなヒステリックな叫び声が、石造りの法廷に反響した。声の主はハートの女王だ。彼女が身に纏う豪奢なドレスは、まるで新鮮な臓器を引きずり出したかのように生々しい赤色をしている。血走った瞳がギョロリと動き、被告人席に座る一匹の獣を睨みつけていた。
チェシャ猫だった。
太い鉄の鎖で首と四肢を拘束されているというのに、その縞模様の体はどこか輪郭がぼやけており、緊張感の欠片もない。それどころか、裂けたような大きな口をニタニタと歪ませ、口の周りにべっとりとこびりついた黄色いカスタードクリームを、ザラザラとした舌で舐めとっている。
「やあ、先生。僕の首が繋がるかどうかは、君の舌先三寸にかかっているよ」
チェシャ猫は空中にふわりと浮かび上がり、私に向かってウインクをした。私は重いため息を吐き、弁護席の冷たい木製の縁を強く握りしめた。どうして私がこんな場所にいて、弁護士のバッジをつけているのか、記憶はひどく曖昧だった。元の世界の風景は、分厚いすりガラスの向こう側にあるように白く濁っている。ただ、自分がこの狂ったワンダーランドにおいて、彼を弁護しなければならないという事実だけが、脳髄に深く縫い付けられていた。
この国の司法制度は、控えめに言って狂気だった。
「判決の後に裁判をする」というのが絶対のルールなのだ。まず処刑が宣告され、その後に弁護士が異議を申し立てる。もし女王を論破し、あるいは煙に巻くことができれば無罪。しかし、女王の機嫌を損ねたり、五回のやり取り(ターン)が経過したりすれば、その場でトランプ兵たちによって首を刎ねられる。床に染み付いた黒ずんだ血痕が、過去の敗北者たちの末路を雄弁に物語っていた。
チェシャ猫にかけられた容疑は「女王のタルト泥棒」だった。
証拠品として提出されているのは、銀のトレイに乗った空の皿。そこには、食べ散らかされたパイ生地の欠片が残っている。
「弁護人! 何か言いたいことはあるか! なければ即刻、その薄汚い獣の首をはねる!」
女王が持っていた扇子でバンバンと机を叩く。
第一ターン。 私は乾いた唇を開いた。
「女王陛下。彼はタルトを盗んではいません。証拠が不十分です」
「黙れ! そこに食べかけの皿があるではないか! 現にそいつの口元にはクリームがついておる!」
「いやあ、あのタルトは実に美味しかった。少しレモンの風味が強かったけれどね。でも、それが罪になるなんて、この国の法律は随分と甘くないねぇ」
チェシャ猫が自白ともとれる軽口を叩いた。私は胃の奥が冷たくなるのを感じた。この猫は、私に弁護させる気があるのだろうか。
第二ターン。 正論は通じない。私は論点をずらすことにした。
「陛下。確かに彼はタルトを食べました。しかし、窃盗とは他人の所有物を不法に占有することです。彼はタルトの存在位置を、皿の上から自らの胃袋の中へと移動させただけです。タルトは失われたのではなく、今もこの法廷内に存在しています」
「屁理屈を申すな! ならば、その腹を裂いて中身を取り出せばよいだけの話じゃ!」
女王の目が吊り上がり、傍らに控えていたスペードのトランプ兵たちが、ギラリと光る槍を一斉にこちらへ向けた。首の皮一枚で繋がっている状況を肌で感じる。
第三ターン。 私は額に滲んだ冷や汗を拭った。残された猶予は少ない。
「お待ちください。タルトを取り出すことは不可能です。なぜなら、猫は『液体』だからです」
「……なんだと?」女王の動きがピタリと止まった。
「チェシャ猫の体を見てください。彼は常に空間に溶け込み、形を変えています。液体である猫が、固体であるタルトを『自らの意思で掴み、盗む』ことは物理的に不可能なのです」
「液体……? 猫が……?」
女王の顔に、明らかな困惑の色が浮かんだ。狂気には、さらに質の悪い狂気をぶつけるしかない。
第四ターン。 私は畳み掛ける。
「そうです。彼はタルトを盗んだのではありません。タルトが、液状化した猫の中に『沈み込んだ』のです。これは引力による自然現象であり、彼に悪意はありません」
「自然現象……? つまり、タルトが勝手に猫の中に落ちたというのか?」
「その通りです。この悲劇の真の原因は、あのような滑りやすい皿の上に、重力に逆らえないタルトを放置した者にあります。裁かれるべきは、タルトを作ったパティシエの過失です!」
第五ターン。 最後の賭けだった。
法廷に不気味な静寂が落ちた。女王は目を剥き、扇子を持ったままブルブルと震えている。彼女の小さな脳髄の中で、私のデタラメな論理が毒のように回り、飽和しているのがわかった。
「ええい、頭が痛い! わからん! もうよい!」
女王はついに扇子を投げ捨て、ヒステリックに叫んだ。
「無罪! 無罪じゃ! パティシエを連れてこい! その猫も弁護士も、二度とわらわの顔を見せるな!」
トランプ兵たちが一斉に向きを変え、厨房の方へと慌ただしく駆けていく。遠くで、哀れなパティシエの悲鳴が聞こえた気がした。私は深く息を吐き出し、その場にへたり込みそうになるのを必死に堪えた。どうやら、生き延びたらしい。
「素晴らしいショーだったよ、先生」
気がつくと、チェシャ猫を縛っていた鎖がパラパラと砂のように崩れ落ちていた。彼は法廷の空中に浮かび上がり、三日月型の目を細めて私を見下ろしている。
「君のデタラメで鮮やかな論理、とても気に入った。約束通り、君には報酬を渡さなくちゃね」
「報酬……? いや、私は元の世界に帰れればそれで……」
「このワンダーランドの法律ではね」
チェシャ猫の声が、突然、私の耳元で直接響いた。いや、私の頭の中で直接響いているのだ。
「無罪を勝ち取った有能な弁護士は、被告人の『罪以外のすべて』を受け取る権利があるんだよ」
視界がぐにゃりと歪んだ。
自分の両手を見ると、人間の肌色だった皮膚がみるみるうちに毛羽立ち、紫色とピンク色の縞模様に覆われていく。指先からは鋭い爪が伸び、手のひらには柔らかな肉球が形成されていた。
「どういう、ことだ……」
声を出そうとしたが、喉から漏れたのは「ニャア」という奇妙な濁った音だった。
「僕はもう、この窮屈な世界には飽き飽きしていたんだ。君は僕の代わりに無罪になった。だから、これからは君が『無罪のチェシャ猫』だ。僕は君の体を借りて、外の世界に行かせてもらうよ」
目の前に、私自身の姿をした男が立っていた。
男は、元の私には絶対にできないような、口が耳まで裂けるほどの不気味な笑みを浮かべていた。彼は私に向かって恭しく一礼すると、コツコツと革靴の音を響かせながら、法廷の出口へと歩き去っていく。
私はそれを止めることができなかった。
体がどんどん軽く、希薄になっていく。足先から徐々に透明になり、空間に溶け込んでいるのがわかった。絶望や悲しみを感じるよりも早く、私の口角は勝手に吊り上がり、へばりつくような笑顔を作っていた。もう、自分自身の意思で表情を変えることすらできない。
静寂を取り戻した薄暗い法廷の空中に、私の「笑顔」だけがぽつんと取り残された。
鼻の奥には、いつまでもタルトの甘ったるい匂いがこびりついていた。
GMからのプレイアドバイス・分岐解説
【クリア条件】 ハートの女王を混乱させ、無罪判決を勝ち取ること。
【NG行動】 「証拠がない」「法律では〜」といった現実の正論をぶつけると、「屁理屈を申すな!」と怒りを買い、即死する可能性が高くなります。
【GMの立ち回りヒント】 プレイヤーが「猫は液体だからタルトを盗めない」「引力のせいだ」といったトンデモ理論を展開した場合、AI GMは女王として「な、なんだと…?」と大きく動揺(混乱)するように設定されています。5ターンの制限を設け、テンポ良く裁判を進めてください。見事無罪になっても、エンディングでチェシャ猫に体を乗っ取られるバッドエンド分岐(原作リスペクト)を用意しておくと盛り上がります。