迷イ家
シナリオ情報
- 推奨プレイ時間: 20分
- 難易度: 中級者向け(ホラー)
- テーマ: 和風ホラー、迷イ家、脱出
あらすじと登場人物
山中で迷ったあなたが辿り着いたのは、古びた日本家屋「迷イ家」。そこには豊かな富と、恐ろしい怪異が潜んでいた。
主な登場人物(NPC)
- 怪異: 家の中を徘徊し、侵入者を狙う得体の知れない存在。
このシナリオの特徴と見どころ
静けさと恐怖が入り交じる純和風ホラー。家の中を探索してアイテム(富)を得るか、命を優先して脱出するかのチキンレースが楽しめます。
プロローグ / リプレイ
ただの軽いハイキングのつもりだった。しかし、ふと足元から目を上げた時、登山道を示すピンク色のリボンも、踏み固められた土の感触も、とうに消え失せていることに気づいた。
友人の啓太と私は、方向感覚を完全に失ったまま、道なき道である獣道を歩き続けていた。日はとうに山の稜線の向こうへと沈みかけ、木々の隙間を縫うようにして、牛乳を水に溶かしたような濃い霧が急速に立ち込めてきた。気温が急激に下がり、吐く息が白く染まる。心細さと、じわじわと這い上がってくるような焦燥感が、疲労した筋肉をさらに重くしていた。
「おい、あそこ……」
前を歩いていた啓太が、枯れ枝を指差して立ち止まった。
霧の向こう側に、ぼんやりとオレンジ色の明かりが滲んでいる。それは揺らぐことのない、人工的な光源だった。こんな山奥に人が住んでいるはずがない。だが、凍死の恐怖に追われていた私たちは、藁にもすがる思いでその明かりへと向かって足を引きずった。
やがて霧の中にぬっと姿を現したのは、場違いなほど立派な古い日本家屋だった。
黒々とした立派な瓦屋根、手入れの行き届いた板壁。周囲の自然から完全に遊離したその建物は、まるで巨大なキノコか何かが、地面から唐突に生えてきたかのような不気味さを持っていた。人の気配は全くない。しかし、玄関の重厚な引き戸は、私たちを招き入れるかのように少しだけ開いており、そこから暖かな光が漏れ出していた。
「すいません、誰かいますか」
啓太が声をかけたが、返事はない。私たちは吸い寄せられるように家の中へと足を踏み入れた。
土間を上がると、すぐに大きな囲炉裏の間があった。
部屋の中は、奇妙なほど清潔だった。古民家特有の埃っぽさも、カビの匂いもない。ただ、無菌室のように「生活の匂い」が完全に欠落していた。
囲炉裏の火は、パチパチと弱々しく燃えている。まるで今しがたまで誰かがそこに座って暖を取っていたかのようだ。そして、囲炉裏を囲むように置かれた黒塗りの膳には、伊勢海老や色鮮やかな野菜の炊き合わせなど、およそ山中とは思えない豪華な食事が並べられていた。
「うまそう……だけど、なんだこれ」
啓太が膳に手を伸ばそうとして、ふと動きを止めた。
違和感があった。囲炉裏の火が燃えているにも関わらず、部屋の中は少しも暖かくないのだ。それに、並べられた料理からは一切の湯気が立っていない。顔を近づけても、出汁の香り一つしない。それはまるで、精巧に作られた蝋細工か、死者に供えるための祭壇のように、徹底的に冷え切っていた。
奥の座敷へ進むと、その異様さはさらに増した。
床の間には価値のありそうな掛け軸が下がり、衣桁には色鮮やかで美しい絹の着物が無造作に掛けられている。しかし、その着物にそっと触れてみると、布地はまるで氷のように冷たかった。誰かが着ていたような温もりや、布特有の柔らかさがない。それは、中身を失って抜け殻となった爬虫類の皮を思わせた。
「気味が悪いな……早くここを出よう」
私がそう言った時だった。
ギィ……。
部屋の隅にある、暗い二階へと続く階段の上から、微かな音が聞こえてきた。
古い木材が軋む音。いや、違う。人の声だ。
『ねんねん……ころりよ……おころりよ……』
それは、酷く歪んだ子守唄だった。
古いレコードを手回しでゆっくりと再生しているような、間延びした不気味な女の声。声は階段の暗がりから、這うようにして一階へと降りてくる。啓太と私は息を呑み、階段から後ずさりした。
その瞬間。
バチンッ!
囲炉裏の火が、まるで誰かに踏み消されたかのように一瞬で消失し、屋敷全体が完全な暗闇に包まれた。
同時に、背後で「ガシャァァァン!」という地響きのような音が鳴り、少しだけ開いていたはずの玄関の引き戸が、暴力的な力で閉ざされた。
「啓太!?」
私は暗闇の中で腕を伸ばしたが、隣にいたはずの友人の感触はなかった。返事もない。彼がそこに存在していたという気配そのものが、空間から拭き取られたように消滅していた。
オギャア。オギャア。
分厚い板壁の向こう――屋敷の外の暗闇から、赤ん坊の泣き声が聞こえ始めた。
それは一人や二人ではない。何十、何百という赤ん坊の泣き声が、幾重にも重なり合いながら、屋敷をぐるりと取り囲んでいる。泣き声は波のようにうねり、次第にそのピッチを異様に上げていった。
オギャア、オギャア、アギャア、キギャア、ヒヒ、ヒヒヒヒヒヒヒッ!
赤ん坊の泣き声は、いつの間にか甲高い老婆の笑い声へと変貌していた。
何百人もの老婆が、狂ったように笑いながら壁の向こうに群がっている。耳を塞いでも、笑い声は脳髄に直接響いてくる。私は恐怖で腰を抜かし、冷たい畳の上にへたり込んだ。
ふと、首筋に生ぬるい息がかかった。
『――見つけた』
すぐ耳元で、カサカサに乾いた声が囁いた。
悲鳴を上げて逃げようとしたが、手をついた畳が、まるで生き物の肉のようにブヨブヨと柔らかく波打っていることに気づいた。
ドクン、ドクン。
床板が、柱が、壁が。屋敷を構成するすべての木材が、巨大な心臓のように脈動を始めている。暗闇の中で、家全体がゆっくりと呼吸を繰り返していた。
私は理解した。
ここは、誰かの家ではない。「これ」自体が一つの巨大な生物なのだ。
美しい着物も、豪華な食事も、囲炉裏の火も。すべては山に迷い込んだ哀れな獲物をおびき寄せるための、甘い疑似餌に過ぎなかったのだ。
体がゆっくりと、肉のようになった畳の下へと沈み込んでいく。
もはや声も出ない。指先から徐々に感覚が薄れ、私の肉体はこの巨大な家の細胞の一つへと還元されていく。恐怖も痛みも、やがて白い靄の中に溶けて消えていった。
深い、深い山の奥。
今日もまた、濃い霧の中にぼんやりと、オレンジ色の明かりが灯る。
私は今、無菌室のように綺麗な囲炉裏の間で、冷え切った豪華な食事を膳に並べている。湯気の出ない椀を置き、偽物の囲炉裏に火の形をした明かりを灯す。
私の肉体はもう存在しない。私はこの家の「生活の匂い」という名の一部となり、永遠に終わらない虚無の中で、ただひたすらに、迷い込んでくる新たな住人を待ち続けている。
引き戸を少しだけ開けておこう。
誰かが、きっと見つけてくれるはずだから。
GMからのプレイアドバイス・分岐解説
【アドバイス】 音を立てない行動を心がけましょう。また、「ダイス: 1D6 -> 隠れる」などの判定を活用して怪異から逃れてください。