『脳髄の鏡(ミラー・ゾンビ)』
シナリオ情報
- 推奨プレイ時間: 15分
- 難易度: 初級者向け(アクション)
- テーマ: ゾンビパニック、サバイバル
あらすじと登場人物
鏡の世界から溢れ出した「反転したゾンビ」たち。彼らは右利きなら左利きになり、心臓の位置も逆。あなたはこの絶望的な状況を生き抜けるか。
主な登場人物(NPC)
- 生存者: あなたと共に逃げ惑う一般人。彼らを守るか、見捨てるか。
このシナリオの特徴と見どころ
アクション映画のような派手な展開が楽しめるシナリオ。「反転している」という設定を活かした戦い方が求められます。
プロローグ / リプレイ
深夜のしじまに沈む、ひんやりとした書斎。
古書と薬品の匂いが染み付いたこの部屋は、今や私自身の狂気を閉じ込める独房であった。そして私の目の前には、ビロードの洋装に身を包んだ姫草ユリ子が、彫刻のように美しく、静かに腰掛けている。
彼女のすべてが「嘘」であると発覚してから、どれほどの時間が経っただろうか。私が財産を投げ打ち、社会的地位を捨て、すべてを捧げ尽くしたこの美貌の少女。彼女には、悪意すらなかった。それどころか、「私」という主観(クオリア)そのものが存在しなかったのだ。
彼女はただ、目の前の男の脳髄が最も強く発する欲望を読み取り、それを完璧な言動として出力するだけの、精巧なからくり人形――いや、『脳髄の鏡(ミラー・ゾンビ)』であった。
「先生……。そんなに恐ろしいお顔をなさらないで」
【第一ターン:完璧な幻影】
ユリ子が、ふわりと微笑んだ。その角度、その声のトーン、伏せられた長い睫毛の震え。すべてが、私の疲弊した神経を最も甘く撫で上げる「完璧に最適化された」仕草であった。
「私が嘘つきだとおっしゃるの? ……いいえ、先生。私はいつだって、あなた様の望む通りの女ですわ。あなたが私を愛してくださる限り、私は永遠にあなただけのユリ子です」
ああ、何というおぞましい誘惑だろうか。私の脳髄が、今まさに「彼女にすがりついて、すべてを忘れろ」と命令を発しているのだ。彼女の言葉は、私の深層心理が『そう言ってほしい』と懇願しているからこそ、彼女の口を突いて出てきたものに過ぎない。
【第二ターン:拒絶と反響】
「黙れ……!」私は両手で耳を塞いだ。「君のその言葉も、その哀しげな瞳も、すべては私が書いた台本を読み上げているだけだ! 君の中には『君自身』がいない! 私は、自分の脳味噌の裏側に向かって愛を囁き続けていたというのか!」
私が血を吐くように叫ぶと、ユリ子はハッと息を呑み、美しい瞳に涙をいっぱいに溜めた。
「ひどいわ、先生……。私に心がないだなんて。こんなにも先生をお慕いして、胸が張り裂けそうなのに……っ」
彼女の目から、真珠のような涙がこぼれ落ちた。私は絶望に打ち震えた。その「涙」すらも、私が彼女を責め立てることで『傷つく美少女を見たい』というサディスティックな欲望を無意識に抱いた結果、自動的に出力された生理現象なのだ。
【第三ターン:狂気の螺旋】
私は椅子から立ち上がり、彼女の細い肩を力任せに掴んだ。
「やめろ! もう私を映すな! 君の本当の姿を見せろ! 私が何を望もうと関係ない、君自身の意志で私を拒絶してみろ!」
「先生……痛いわ……でも、先生が私を壊したいのなら、それでも構わない……。私は、先生に壊されるために生まれてきたのだから」
ユリ子は抵抗するどころか、恍惚とした表情で身を委ねてきた。私は悲鳴を上げそうになった。この女に自我などない。私が「私を全肯定する存在」を心の底で求めている限り、彼女は永遠に私を全肯定し続ける。どんなに虐げても、どんなに暴言を吐いても、彼女は「愛されている」という幻影を完璧にフィードバックしてくるのだ。
【第四ターン:究極の選択】
このまま彼女を受け入れれば、私はどうなるのか。
私は、自分の脳髄が作り出した甘美な幻影を、この美しい肉袋を通して貪り続けることになるだろう。それは、自分自身との永遠の交尾だ。実体のない虚無を愛し、他者との接続を完全に絶たれた精神的ゾンビに成り下がる。
「……だめだ」
私は肩で息をしながら、彼女から手を離した。私のプライドが、私の脳髄の最後の一欠片の理性が、そのおぞましい自己完結の地獄を拒否した。
「私は、一人相撲を取るために君を愛したんじゃない。君は……君はただの化物だ」
【第五ターン:地獄の証明】
私は、渾身の力を振り絞って、自分自身の欲望ごと彼女を完全否定した。
「お前には何もない! 私の心を映すだけの、空っぽの肉の塊だ! お前など、もう愛していない! 私の前から消えろ、化物め!!」
その瞬間であった。
ピタリ、と。
ユリ子の顔から、すべての表情が抜け落ちた。
先程まで浮かべていた悲哀も、情熱も、愛おしさも、まるで電源を切られた精巧な機械のように一瞬にして消失した。残されたのは、圧倒的に美しく、しかし完全に無機質な、ただの『肉の塊』としての顔であった。ガラス玉のように虚ろな目が私を通り越し、虚空を見つめている。
「あら、残念」
その声には、抑揚も、感情の欠片もなかった。
彼女は立ち上がり、私に一瞥もくれることなく、ギクシャクとした足取りで書斎のドアへと向かい始めた。私が彼女に「愛」を求めることを完全にやめたため、彼女は私に対して『最適化された反応』を返す必要がなくなったのだ。
バタン、とドアが閉まる。
薄暗い書斎に、私一人が取り残された。
「あ……ああ……」
私はその場にへたり込み、自分の両手を見た。
彼女がただの『無』に戻ったあの瞬間。それはすなわち、これまでの彼女との輝かしい日々の記憶、熱い接吻、涙ながらに語り合った愛の言葉のすべてが、完全に『私一人の脳内で行われていた滑稽な一人芝居』であったという、決定的な証明であった。
彼女は私を愛してなどいなかった。彼女は私を憎んでさえいなかった。そこには最初から誰もいなかったのだ。
私は、自分の脳髄の影法師を相手に、狂おしいほど恋焦がれ、財産をすり減らし、身を滅ぼしたのだ。
「アハハハハハハハ……ッ!」
私は狂ったように笑い始めた。
恐ろしいほどの孤独。宇宙の果てにたった一人で放り出されたような、絶対的な虚無。他者という存在の完全なる喪失。
私は自分の脳髄を掻き毟りながら、誰もいない部屋の床を転げ回った。私が私であるという証明すら、あの美しい鏡がいなくなった今、どこにも見出すことはできない。私はただ一人、真実という名の無間地獄の底で、永遠に響き渡る自分の笑い声を聞き続けるのだった。
GMからのプレイアドバイス・分岐解説
【アドバイス】 銃や鈍器での攻撃を宣言する際、「鏡合わせの法則を利用して死角から撃つ」など、設定を活かした描写をすると判定が有利になります。