注文の多いマイルーム
シナリオ情報
- 推奨プレイ時間: 20分
- 難易度: 中級者向け
- テーマ: 宮沢賢治、ブラックコメディ、脱出
あらすじと登場人物
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」山猫軒に迷い込んだあなた。次々と出される「注文(身体にクリームを塗れ等)」の真意に気づき、食べられる前に脱出せよ。
主な登場人物(NPC)
- 山猫: 見えない場所から指示を出してくる店の主。あなたを美味しく調理したい。
このシナリオの特徴と見どころ
注文に素直に従うフリをしながら、いかに店のルールを逆手にとって危機を回避するかがポイントです。
プロローグ / リプレイ
イイネ。イイネ。イイネ。イイネ、イイネ、イイネ……。
嗚呼、何という甘美な響きでありましょうか。私の脳髄の奥底で、チャカポコ、チャカポコと鳴り響く、この見えない大衆からの承認の狂宴。掌の上の小さな硝子板から発せられる青白い光だけが、私のちっぽけな生命を証明する唯一の光背なので御座います。
「#マイルーム」「#泊まるだけでインフルエンサー」「#予約のとれない隠れ家」
幻のように電脳の海を漂う、その呪わしくも美しい文字列。そこに泊まりさえすれば、どんな凡庸な肉袋であろうとも、瞬く間に万余の視線を浴びる輝かしい神体へと昇華されると申します。私は、自らの臓腑を売り渡すような思いで、半年にも及ぶ血を吐くような執念の末、ついにその場所への切符を手に入れたので御座いました。
指定されたのは、帝都の片隅で肺病病みのように咳き込む、薄汚れた雑居ビルの最上階でした。しかし、ギシギシと悲鳴を上げる鉄扉を押し開けた途端、私の眼球は暴力的なまでの美の閃光に灼き貫かれたのです。
外界の腐臭など微塵も入り込まぬ、完璧に計算し尽くされた無菌室のごとき空間。大理石の床に、西洋渡りの豪奢な家具。そして、いかなる醜悪な毛穴をも白磁のように飛ばしてしまう、計算され尽くした間接照明。そこはまさに、虚栄という名の怪物を培養するための、極彩色のフラスコでありました。
部屋の中央、白百合の飾られた卓の上に、血のように赤いインクで綴られた、一枚の美しい香盤紙が置かれておりました。
『当マイルームへようこそ。ここは、貴方という極上の素材を、最高に輝かせるための祭壇で御座います。どうぞ、奥の扉へとお進み下さい。貴方が最も美しく羽化するための、幾つかの「注文」がございますが、何卒御協力をお願い申し上げます』
私は、陶酔の溜息を漏らしました。注文。ええ、幾らでも従いましょうとも。この泥のような私を、数万の眼球が愛撫する美しい虚像に作り変えて下さるのなら、どのようなことでも。
最初の扉を開けると、そこは冷たい鉄格子のロッカーが並ぶ小部屋でした。壁には流麗な文字でこう書かれています。
『当室は電脳の毒素を抜く儀式を推奨しております。御持参の通信機をロッカーへ封印し、一切の現世の憂いを忘却して、純白の無我の境地へと御入りなさいませ』
通信機を手放すことへの恐怖は、私の指先を微かに震わせました。しかし、これは通過儀礼。私は震える手でそれを鉄の箱へ葬り去りました。するとどうでしょう。見えない鎖から解放されたような、あるいは脳髄の中身をすっからかんにくり抜かれたような、奇妙で空虚な爽快感が全身を突き抜けました。
次の扉の向こうは、眩いばかりの更衣室でした。
『外界の俗悪な装飾品や衣服は、美を濁すノイズに過ぎません。こちらに用意致しました、当室特製の無垢なる白衣(ウェア)に御着替え下さいませ』
私は、昨日大枚を叩いて買ったばかりの流行の洋装を、まるで汚物でも捨てるかのように脱ぎ捨てました。用意されていた白衣は、薄く、滑らかで、まるで上質なクッキングシートか何かのように、私の素肌へピタリと吸い付きました。鏡に映る私は、一切の個性を削ぎ落とされ、まな板の上に横たえられた白身魚のように無防備で、そして恐ろしいほど純潔に見えました。
狂おしいほどの承認の渇きが、私の理性を完全に溶かし始めておりました。
三番目の扉の部屋には、祭壇のような台の上に、琥珀色の液体の入った大きな霧吹きが置かれておりました。
『自己の価値を極限まで高めるため、この「推しの香り」を、頭の先から足の爪先まで、余すところなく振りかけて下さいませ』
言われるがままにノズルを引き、その液体を全身に浴びます。シュッ、シュッ。
……鼻腔を突いたのは、花や果実の芳香ではありませんでした。それは、酢とハーブと、得体の知れない香辛料が混ざり合った、強烈な酸味を伴う匂い。まるで、獣の肉を柔らかくするために漬け込む、血腥い『マリネ液』そのものでした。しかし、狂気に麻痺した私の脳髄は、それを「万人に愛されるための魅惑の香薬」であると思い込んで疑わなかったのです。
酢の匂いにむせ返りながら、身も心も、そして肉の繊維の一本一本までもが従順にほぐれきった私の前に、いよいよ最後の、重厚な両開きの扉が姿を現しました。金細工の額縁には、こう記されております。
『さあ、最後の注文で御座います。世界で最も「映える」最高の笑顔をお作りなさい。そして、扉を開け、貴方の「真実(肉体)」のすべてを、我々に捧げて下さいませ』
捧げよう。ええ、捧げましょうとも。
扉の向こうには、数え切れないほどの賞賛と、フラッシュの閃光と、永遠の栄光が待っているのだ。私は口角を限界まで引き上げ、目をカッと見開き、狂人のような極上の笑顔を作って、その重い扉を力いっぱい押し開きました。
バァァァァン!!
鼓膜を破るような交響楽と共に、数千のフラッシュが私の網膜を白く灼き尽くしました。見えない。何も見えない。しかし、私の耳には、夥しい数の歓声と、ピチャピチャと涎をすするような、悍ましい水音が聞こえて参りました。
「アア、美味しそうダ」「イイネ、イイネ、最高ノ鮮度ダ」「極上ノ、素材ダ……!」
視力が徐々に回復し、私の眼前に広がった光景。
それは、華やかな撮影所などではありませんでした。円形の巨大なコロッセオのような空間。その観客席を埋め尽くしているのは、ブヨブヨと肥え太った、巨大な肉の塊のような化け物たちの群れでした。顔には無数の眼球が蠢き、その手には、ギラギラと銀色に光る、私の背丈ほどもある巨大なナイフとフォークが握られております。
彼らインフルエンサーという名の貪欲な魔物たちは、涎で床を濡らしながら、薄いクッキングシートに包まれ、マリネ液で柔らかく味付けされた『最高のコンテンツ(食材)』――すなわち、私を、爛々と輝く眼で見下ろしていたのです。
「アッ……アアア……」
喉の奥で、声にならない悲鳴が凍りつきました。
逃げなければ。蹴破って、こんな地獄から逃げなければ。しかし、狂気に浸りきった私の両足は、床に縫い付けられたように動きません。それどころか、私の脳髄の奥底に巣食う、あの恐ろしい承認への渇望が、私にこう囁きかけたのです。
『御覧なさい。これほど多くの目玉が、貴方だけを見つめている。これ以上の幸福が、どこにありましょう?』
ズブッ!!
私の腹部を、巨大な銀のフォークが深々と貫きました。鮮血が、純白のウェアを美しい真紅に染め上げていきます。激痛。しかし、その激痛すらも、数万の眼球に犯されるような圧倒的な快楽の前に、たちまち溶け去ってしまいました。
「アハハ……。イイネ……もっと、もっと私を見て……!」
巨大なナイフが私の四肢を切り落とし、内臓を引きずり出すその瞬間まで、私は顔の筋肉を引き攣らせたまま、あの『最高の笑顔』を浮かべ続けておりました。
フラッシュの瞬きが、血飛沫をキラキラと星のように輝かせます。
かくして、私は物理的に消費され、胃袋へと収まりました。
しかし、私の魂は死んではおりません。私は、極彩色に加工された一葉の『映える肉料理』の写真として、永遠に電脳の海を漂い続けるので御座います。夥しい数の「いいね」の音に包まれながら、私は永遠の幸福の底で、狂ったように嗤い続けているので御座います。
GMからのプレイアドバイス・分岐解説
【アドバイス】 「クリームを塗れ」と言われたら「アレルギーなので別のものを塗ります」と返すなど、巧みな話術で調理プロセスを妨害しましょう。